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ボスマン判決の当事者が語る、現代サッカーの移籍制度。選手たちの解放と自身の破滅【特集:ボスマン判決、20年後の風景】

現在のフットボール界では、所属クラブとの契約満了まで6ヶ月未満となった選手は他クラブと自由に契約交渉ができ、EU域内であれば、EU加盟国の国籍をもつ選手は外国人枠から除外されるようになっている。この制度をもたらしたのが、ジャン=マルク・ボスマンが起こした裁判だ。今回は、ボスマン判決から20年が経過した今日、改めてこの「事件」と現代サッカーについて考え直すべく『フットボール批評issue10』(カンゼン)に抄訳で転載されたスペイン・パネンカ誌の特集企画を、3度にわたって全文掲載でお届けする。第1回は、ボスマン本人のインタビュー。サッカー界を激変させたベルギーの一サッカー選手は今、現代のサッカーについて何を思うのだろうか。(取材・文:アルベルト・フェルナンデス【ベルギー】、翻訳:江間慎一郎)

シリーズ:ボスマン判決、20年後の風景 text by アルベルト・フェルナンデス photo by Gabriela Hengeveld, Getty Images

最近はIKEAなどでも職探しをしている

「ボスマン判決」で有名になったジャン=マルク・ボスマン
「ボスマン判決」で有名になったジャン=マルク・ボスマン【写真:Gabriela Hengeveld】

 ワッフルとボンボン・ショコラはさておくとして、ベルギーからは非常によく知られている二つの制度が生まれた。ドント方式なる選挙の議席配分法と、ボスマン・ルールなるフットボールの移籍に関する決まりである。

 その二つ目の主役が、多くの選手を解放しながらも、自身のキャリアを破滅に導いた20年前の経緯を振り返る。ジャン=マルク・ボスマン。ボスマン判決にのどを詰まらせた唯一のフットボーラーが、その声を響かせた。

――メディアの見出しにあなたの名が踊ることには慣れているのでしょうね。たとえ、選手としてのキャリアをスタートさせたときに願わなかった理由であるとしても……。

ジャン=マルク・ボスマン(以下B) ああ、それはそうだとも。5年にわたって続いたあの裁判が始まったとき、その後に深い孤独と向き合うことになるなど予想できなかった。勝訴に終わったのだから、なおのことね。けれどもFIFA、UEFA、ベルギーの協会に楯突いたとなると、仕事を探しても見つけられなくなってしまう。

 私は、完全に孤立してしまった。失業手当をもらえなくなった人間のための最後の公的扶助機関、CPASの金もちょっと前から受け取れなくなった。おかしなことに、私は失業しても金を恵んでもらえない人間なのさ。この国の選手たちは、自分の裁判のおかげでその権利を手にしたというのに。

 私が生活するアワンスの居住者数は9000人だが、その内40人がCPASから最低でも570ユーロを受け取っている。自分が受給できなくなった最初の人間だ。

――なぜ、扶助を受けられなくなったのでしょうか?

B 15人を前にした場所に呼び出され、仕事を見つけるための十分な努力をしていないと説明された。私からは自分が51歳で、職に就ける可能性の低い貧しい地域に住んでいること、目の前にいる彼らが何かを見つける助けになっていないことを訴えたよ。しかし、一ヶ月の間に仕事を5つだって探していないと言われ、つまはじきにされた。

――ここ最近は、どのような職種を探していたのですか?

B ありとあらゆる職だ。IKEAから、スポーツショップの店員までね。当初、ある店の主ステファニーが契約を結んでくれるはずで、あと協力の意思を示すFIFPro(国際選手サッカー界)が仕事を回してくれる可能性もあったが、最終的にノーと言われた。

 ステファニーは宣伝材料を探していたようで、自分の存在によって店がマスコミに取り上げられた。私は利用されたのだろうが、その挙句に、もう必要ないと言ってきた。

――ジャン=マルク・ボスマンを利用した、最新の事案ということになるのでしょうか?

B そうなるね。私は51歳となるが、裁判を終えた後に仕事を見つけられないでいる。FIFProは自分を助けようとしてくれているが、もし彼らがいなければ、どうやり繰りすればいいのか見当も付かない。ほかの市民と同じく税も払っているが、私には何もないんだ。

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