「黄金世代」のなかでも突出した実績を持つ2人
ともに1979年9月に、それも稲本が9日早い18日に産声をあげた。そろって出場した1999年のワールドユース選手権(現U‐20ワールドカップ)で準優勝の快挙を達成。いつしか「黄金世代」と呼ばれた1979年組のなかでも、稲本と小野は突出した実績をそのキャリアに刻んできた。
そして、ハイライトのひとつが2002年6月4日となる。くしくも右ひざに大けがを負った日のちょうど14年前に、稲本は埼玉スタジアムでまばゆいスポットライトを浴びていた。
ベルギー代表と対峙した、ワールドカップ日韓共催大会のグループリーグ初戦。ボランチの位置から豪快なドリブルで縦へ抜け出し、一時は2‐1と逆転するファインゴールを決めたのは後半22分だった。
その3分前に決まったFW鈴木隆行(当時鹿島アントラーズ)の起死回生の同点弾を、ピンポイントのロングパスでアシストしたのは小野だった。ポジションは3‐5‐2の左ワイド。開幕直前に虫垂炎を患いながらも、多彩なテクニックを駆使して攻撃に絶妙のアクセントを加える役割をまっとうした。
ワールドカップが開幕する約1ヶ月前。小野が所属していたフェイエノールトはボルシア・ドルトムントを3‐2で撃破してUEFAカップを制覇。つまり、ヨーロッパの頂点に立っている。結果的に決勝点となるデンマーク代表FWヨン・ダール・トマソンの3点目をアシストしたのは小野だった。
稀代の天才と謳われた小野はしかし、部分的にコンサドーレの全体練習に合流している稲本とは異なり、沖縄キャンプ初日から完全に別メニューでの調整が続いている。
金武町のグラウンドに隣接した施設で器具を使ったトレーニングをする日もあれば、宿泊しているホテルのプールでウォーキングする日もある。原因は昨シーズンから悩まされているグローインペイン症候群。股関節に発生する疲労性の痛みがなかなか治まらないと、四方田修平監督は状況を説明する。
「ちょっと個人差があるけがで、骨折などと違って、全治何ヶ月とは言えない。無理をすればできるんですけど、ちょっとプレーしてまた痛みが大きくなるよりは、根本的に痛みを取り除きたいとチームとしては考えているので。いまは焦らずという感じで、見通しが立っていない状況ですね」