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Jリーグ 8年前

「天才」家長昭博が川崎Fを選んだ理由。30歳での決断。「模索中」のサッカー人生

text by 藤江直人 photo by Getty Images

「常に成長したいと思って、実際に歩んできた」

海外へのプレーを経験した後、2012年7月からは1年間再びガンバでプレーした
海外へのプレーを経験した後、2012年7月からは1年間再びガンバでプレーした【写真:Getty Images】

 特にJ1への残留争いを余儀なくされていたガンバのラブコールを受けて戻り、実際に降格した後のJ2での戦いを含めて、2012年7月から約1年間プレーしたときにはこんな言葉を残してもいる。

「上手い選手、強い選手は世界中になんぼでもる。そのなかで、自分はどのようにして生き抜いていけばいいのか。海外の高いレベルでもまれないとわからないことだし、だからこそ体で感じられた部分は大きかったと思う」

 公式ブログのタイトルを「拝啓 自分不器用デスカラ。」としていたように、愚直に自分自身と向き合ってきた結果が、移籍の回数にも反映されているのかもしれない。だとすれば、30歳にして決断したフロンターレへの移籍も、かつて抱いていた「模索中」の一環、終わりなき旅の途中となる。

「チームを変えることが必ずしも成長にはつながらないと思いますけど、それでも常に成長したいと思って、実際に歩んできたので。これから先、引退するまでもそうだと思いますし、そういう部分は若いときと変わらないですね」

 昨シーズンまで指揮を執った風間八宏前監督のもと、フロンターレは独特の攻撃サッカーを確立した。フリーの定義ひとつをとっても、中村をして「たとえ味方に相手のマークがついていても、パスの出し手と受け手がフリーだと思えばフリーなんです」と言わしめるなど、斬新な考え方はときに新加入選手を困惑させてきた。

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