理想と現実の折り合いをグアルディオラ監督は付けられるか
グアルディオラ監督は本来、現実に合わせて理想との間に折り合いをつけることができる監督だ。バイエルン時代にはロベルト・レヴァンドフスキというタレントがいたため、サイドからのクロスを頻繁に使っていた。
だが、今のシティにとってロングボールを攻撃の手段として使うことは現実的ではない。シーズン前にエディン・ジェコ、ウィルフリード・ボニーをそれぞれローマ、ストークに放出した時点で攻撃のオプションとしての「高さ」は放棄したと言ってもいい。再び『スカイスポーツ』のデータを見てみると、ヘディングによるゴールはトップ6の中で最も少ない3得点となっている。
ボールを捨てるロングボールと攻撃の手段としてのロングボール(=クロスボール)。守備に苦しむシティにとって前者の使い方は特に重要な要素になるはずである。
前線のアグエロ、シルバ、ラヒーム・スターリング、ケヴィン・デ・ブライネが奏でるハーモニーは見る者を魅了するし、エバートン戦もトッテナム戦も前半は明らかにシティのゲームであった。そこでゴールを奪いきれずに自分たちのミスや集中力の欠如によって失点を許すという試合が続いている。
上手いだけ、技術があるだけでは勝てないのがプレミアリーグだ。下位のチームもビッグクラブ相手に勝利を奪おうとフィジカルコンタクトや球際は激しく来るし、「戦う」ということが求められる。
理想を捨ててしまってはグアルディオラ監督ではない。プレミアリーグでもバルセロナやバイエルンで見せた攻撃的なサッカーを展開することを目指すべきだろう。しかし、理想と現実の間で折り合いを付けることも重要だ。グアルディオラ監督がプレミアに適応していくことがシティが上向く条件になるかもしれない。
(文:小澤亮太)
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