ピエール・リトバルスキー
千葉でプレーしたピエール・リトバルスキー【写真:Getty Images】
[所属したJクラブ]
1993年~1994年 ジェフユナイテッド市原(63試合10得点)
[ドイツ代表の実績]
71試合16得点
1982年W杯スペイン大会 7試合出場、準優勝
1986年W杯メキシコ大会 5試合出場、準優勝
1990年W杯イタリア大会 6試合出場、優勝
1984年EUROフランス大会 2試合出場
1988年EURO西ドイツ大会 4試合出場
来日前は主にケルンで活躍し、ブンデスリーガ4年連続二桁得点を挙げ、PKの盟主として知られたピエール・リトバルスキーは1993年にジェフユナイテッド市原(当時)へと加入。2シーズンプレーし、日本のファンにテクニックを見せてくれた。1994年に引退したが、その後ブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)で現役復帰をした。
指導者転身後も日本との関係は深く、1999年に横浜FC初代監督に就任。2007年にはアビスパ福岡でも指揮を執った。日本以外ではイラン、スイス、オーストラリアで監督を務め、2005年にはシドニーFCを率いてオセアニアチャンピオンとなり、クラブワールドカップに出場。この時は三浦知良をゲストプレーヤーとして加入させている。
現在は2010年から約1年間アシスタントコーチを務めていたヴォルフスブルクでチーフスカウトの職に就いており、チームの強化を行っている。
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