02年W杯前、トルシエ監督が選んだ日本代表メンバーを発表する木之本興三氏【写真:Getty Images】
Jリーグは16日、かつて同リーグでの専務理事を務めた木之本興三氏の逝去を発表した。うっ血性心不全で68歳の生涯を閉じることとなった。
木之本氏は東京教育大学(現在の筑波大学)から1972年に古河電工(現在のジェフユナイテッド千葉)に入団して活躍していたが、1975年にグッドパスチャー症候群に罹って腎臓を摘出し、現役続行を断念した。
1983年に日本プロサッカーリーグ(JSL)事務局に入り、川淵三郎氏らとともにJリーグの創設やサッカーのプロ化に尽力した。1998年からはJリーグの専務理事に就任し、2002年の日韓W杯に向けた日本サッカー協会(JFA)の強化推進本部副本部長を務めるなど、日本サッカー界の発展に大きく貢献した。
Jリーグの村井満チェアマンはリーグ公式サイト上に「一昨年に対談取材でJFAハウスにお越しいただき、Jリーグや日本サッカーの未来について熱く語り合った記憶がまだ鮮明に残っています。木之本さんは日本サッカーリーグ時代から日本サッカーのプロ化の先鞭をつけ、最前線で奔走されました。木之本さんがいなければ今のJリーグの姿はありませんでした」と追悼コメントを寄せている。
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