2000年のアジアカップで共闘の経験
「自分がいいプレーをするということだけじゃなく、若い選手だったりベテランもそうだけど、自分に何かを感じてもらい、落とせるものは落としていきたい。伝えるというか。自分がいるのが少しの間だとしても『アイツがいて良かったな』と言われるように、ジュビロのために身を削ってでも貢献したい」
世界を渡り歩いたMFは自身のパフォーマンスに固執するのではなく、周囲へ積極的に働きかける意思を示した。そうした、集団を俯瞰的に見つめチームを円滑に動かせるのは、名波監督も同じだ。
2000年のアジアカップでは共に日の丸を背負って優勝に貢献した。中村俊輔のFKから名波監督がダイレクトボレーで決めたゴールは語り草となっているが、後の日本代表10番は中盤の左サイドでプレーしていた。このポジションに「少しストレスを感じていた」が、それでもクオリティーを発揮できた。そこには、何度もポジションチェンジして後輩を中央でプレーさせる、当時の10番の存在があった。
「自分のプレーをどんどん出すだけでなく、周りの選手のプレースタイルやメンタルの部分まで見える。他の選手には見えない、表に出ないところで差を出している部分ですごく勉強になった」
中村俊輔には試合で活躍し、磐田を勝利に導くことが求められる。ただ、それだけでなくクラブのため、新しいチームメイトたちのために何ができるかという点でも、力を発揮してもらいたい。
【次ページ】俊輔加入に心躍る若手選手たち