突如干された太田。切り拓いた突破口
浅野の場合は三重県の実家からサンフレッチェ広島の寮に入ってサッカーにまい進していた日本時代とは異なり、異国で1人で生活しながらサッカー選手としてのレベルアップに努めなければいけない。
「サッカーをするうえで私生活がこれほど大事なのかっていうのを改めて感じた。ハジ君(細貝)がいてくれて、本当に助かりました」としみじみ吐露するように、人間としての器も広がりつつあるという。
この2人と同じく、非メジャーリーグで新たなサッカー観に触れ、連日格闘しているのがオランダリーグ1部・フィテッセでプレーする太田宏介だ。2016年1月に28歳でオランダ挑戦に踏み切った遅咲きの左サイドバックは、ここへきてようやく外国人選手としての身の振り方が理解できるようになったという。
「2シーズン目を迎えた今季はプレシーズンも試合に出ていて、いい感じで新シーズンを迎えられるという手ごたえがありました。8月6日の開幕戦(ヴィレムⅡ戦)もスタメン出場して、これからと思っていた矢先に、(ヘント・フレーザー)監督からいきなり外されたんです。
何試合か出番なしが続いて、監督に理由を聞くと『言葉が喋れないから』と言う。それを代表に行った時に話すと、多かれ少なかれみんなが直面している問題だと分かった。そこで僕はチームメートと身振り手振りを交えてコミュニケーションを取って、監督の目に見えるようにアピールするようにしたんです。
そう仕向けて2ヶ月くらいが経った11月19日のヘーレンフェーン戦でようやく出番が巡ってきた。そこからチームは4試合無敗で、自分もコンスタントに出られるようになった。ちょうど代表から外れてインターナショナルウイークにしっかりチームで練習できたのも大きかったと思います」と太田は自ら堂々とアクションを起こして突破口を開いたことを明かした。