3度目の4連敗で監督退任。薄氷を踏む思いで残留を手に
吉田監督の就任で新潟のスタイルは大きく変わった。長年積み上げてきた粘り強く守ってカウンターを狙う形から、ボール支配率を高めて試合の主導権を握る形へ、新指揮官は全く違うスタイルを選手たちに要求した。
しかし、昨季から選手の入れ替わりは最低限だったため、ポゼッションサッカーを自分たちのものにすることが困難だった。ボールを失わないためのパス回しはできるものの、そこからシュートまで持ち込む形がなくゴールが奪えない。年間を通して試合数よりも少ない33得点しか挙げられなかった。
シーズン開幕直後から低空飛行を続け、常に降格圏を意識しながらの戦いは選手たちを消耗させた。結局2ndステージ第13節の鹿島アントラーズ戦を終えた直後に吉田監督が事実上の解任。今季3度目の4連敗という泥沼を抜け出すための苦渋の決断だった。
チームを暫定監督として引き継いだ片渕浩一郎コーチは、選手たちの中にくすぶり続けていた「新潟らしさ」を引き出す堅守速攻のサッカーに回帰する。そして2ndステージ最終節でサンフレッチェ広島に敗れながらも、名古屋グランパスの敗戦によって辛うじて年間勝ち点15位を確保し残留を果たした。
監督交代後も終盤はなかなか結果が出なかったが、いずれの試合内容は悪くなく、来季への希望を抱かせる戦いだった。2004年にJ1昇格を果たして以来、おそらく「降格」という2文字が最も現実味を帯びた1年をチーム一丸となってなんとか乗り越えた。