ある“1点”でつながっていたCSとプレーオフ
激闘の余韻がいまなお残る、JリーグチャンピオンシップとJ1昇格プレーオフ。リーグのカテゴリーも出場クラブも異なる2つの大会が、実はある“一点”でつながっていた。
年間勝ち点3位からJ1の頂点に立った鹿島アントラーズの昌子源。プレーオフ決勝でセレッソ大阪に惜敗したファジアーノ岡山の岩政大樹。両チームのディフェンスリーダーは年齢や経験の差を超えて、お互いを意識するかのように試合後の取材エリアで図らずもエールを交換していた。
きっかけは昌子だった。年間勝ち点2位の川崎フロンターレを1‐0で下し、下克上の第一章を成就させた11月23日の準決勝後。アントラーズが前人未到のリーグ3連覇を達成した、2009年12月5日の浦和レッズとのJ1最終節の映像を試合前に偶然にも見た、と明かしたなかで岩政の名前を挙げた。
「最後は押せ押せで攻めてきた浦和を鹿島がことごとくはね返して、確か高原(直泰)さんのシュートを(岩政)大樹さんが一歩寄せて、左足で当てて防いでいた。あの時間帯で、あそこで左足が出るなんて奇跡としか言いようがない。これが鹿島や、これが鹿島の3番やというのを、試合前に大樹さんから学びました」
アントラーズのディフェンスリーダーの象徴であり、第1次黄金時代のレジェンド秋田豊から託された背番号「3」の継承者である可愛い後輩の昌子に、おもむろに名前を出された岩政も黙ってはいられない。
後半アディショナルタイムに飛び出したFW赤嶺真吾の劇的な決勝弾で、リーグ戦では勝ち点で19もの大差をつけられていた松本山雅FCを敵地・アルウィンで撃破した11月27日のプレーオフ準決勝後。34歳のベテランは苦笑いしながら、昌子をはじめとする古巣アントラーズに感謝していた。
「今日はJ1の試合もないし、鹿島のみんなも見ているだろう、というのもあったしね。あんな記事を出されて、僕が変なプレーをして今日負けたらどうするんだと。いつも以上に緊張感がありましたよ。ただ、鹿島のあの一戦を見て、自分の中でも思い出したことがあって。それをヒントにして今日は戦いましたので、僕からしたら、逆に彼らに感謝したいというのがありますね」