時間稼ぎを「中東戦術」、どこが差別に当たるのか?
ミスジャッジは許されるものではなく、審判レベル向上のためにも批判・検証はあるべきだ。しかし、ミスは中東の審判だからあるのではなく、日本の審判もミスをする。単なるミス(または技術レベルの低さ)を、“中東出身であるから”という理由で「中東の笛」と揶揄するのは“グループに対する不平等”に当たる。
そもそも、中東諸国といって一括りにしても一枚岩ではなく、サッカーにおいては身びいきしていたという事実は今のところ見つかっていない。審判の出身が中東であることをもって“八百長”のような疑いをかけることは、それこそ差別に当たるだろう。
では、「中東戦術」はどうだろうか。
ARICのホームページには「中東戦術」「中東する」の解説に「時間消化をねらったプレーや、悪質なプレー・ずるいプレーなどについて、『中東』という言葉が代名詞のように使われています」と記載されている。
サッカーにおいて中東諸国は、怪我をしたフリをするなどといった露骨な時間稼ぎをする傾向にある。これには賛否ある。卑劣でスポーツマンシップに反すると思う人もいれば、「巧みである」と捉える人もいるだろう。
サッカーは時間制限のあるスポーツで、時間稼ぎは“ずる賢い”プレーと言えなくもない。ポジティブな意味で「中東っぽい」と使うこともあるはずだ。「中東戦術」がヘイトスピーチとされれば違和感を覚えるサッカーファンはいるだろう。
「もちろん『中東戦術』といえば全部がNGレベルの差別だ、とまでは言えません。要はそれが差別かどうかは文脈によります。言葉単体を切り取り、NGワードのようにするのではなく、どのような効果を生むのかを考えなくてはなりません。NGかどうかの判断基準は“グループへの不平等”を煽る効果があるかどうか、です」(梁氏)