名波監督がつけていた「背番号7」の重み
出場試合数は18。上田の言葉を借りるまでもなく、もっとやらなければいけなかった。それでも悔しさに塗りつぶされて終わらなかったことは前向きに捉えていい。
最終節の仙台戦ではヒーローとなった。試合開始直後の5分、ゴールから約30mの位置から芸術的な直接FKを叩き込み、チームのJ1自力残留を手繰り寄せた。コース、スピード共にパーフェクトで、彼の繊細な技術が凝縮されていた。
身体を張ってファウルをもらったジェイも蹴りたい素振りを見せていたが、上田にも自信があった。
「速いボールじゃないとキーパーに追いつかれてしまうなと思っていた。壁との距離があったからそこはそんなに気にならなかったので、壁をしっかり越して、落とすというよりは速いボールを蹴ることを考えて」
さらに、様々な感情をボールに込めていたようにも思う。
「チームの勝利に貢献したかったという気持ちは強かった。でも、結構落ち着いて蹴ることができたので、いいコースに行けばいいかなという感じだった」
1986年生まれの上田は、5月に30歳を迎えた。磐田のアカデミーで育ち、トップ昇格を果たす。2011年からは大宮アルディージャ、2014年にはファジアーノ岡山でもプレー。そして昨季、5年ぶりに古巣のユニフォームに袖を通した。
背番号は、名波監督が現役時代につけていた『7』だった。責任感、重圧、期待をその背中に背負って戦ってきた。
「伝統あるクラブだし、その一員としての責任を果たさなければいけない。また強くするために呼んでもらっているので、しっかり仕事をしないといけない。今年はあまり仕事をできていないので、しっかりやらないといけない」
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