トヨタからの出向組と久米社長らの主導権抗争
これで、来年4月までの任期をまっとうすることなく、既存の選手たちの説得も果たせないまま久米社長は退任。ベルマーレ戦後の最終戦セレモニーや公式会見の席で続投を希望していた、ジュロヴスキー監督の退任も6日に発表された。
指揮を執った8試合の結果は3勝2分け3敗。選手たちをして「元の状態に戻った」と言わしめた、論理的かつ情熱的な指導を踏まえれば再建を託す道もあったが、トヨタ自動車主導となった人事は続投を許さなかった。
そして、5ヶ月契約で加入し、愛するグランパスのために粉骨砕身した闘莉王の退団も6日に報じられた。長いブランクに不安を感じながら、それでも再び「4」番を背負った35歳は、偽らざる本音をこう吐露していた。
「どれだけ辛かったのか、というのは自分にしかわからない。それでも最後に残留できれば(報われる)、という思いでやってきたので……本当に悔しくてしょうがない」
チームに喝を入れる「劇薬」として期待され、実際に闘莉王の加入後で3つの白星をあげた。一方で年齢的な衰えが見え隠れする場面もあった。クラブ側としてはその点で、ドライな判断をくだしたのかもしれない。
しかし、ビジネスライクに割り切られ、何よりも損得勘定が優先されたチーム運営が、特にサッカー界において奏功するとは限らない。久米社長はベルマーレ戦後の会見でこう語ってもいる。
「監督の問題も含めてどのような補強をしていくのか、それから社長はどうなるんだ、などいろいろなことを考えながら、選手たちは(去就を)選んでいく。そのへんは早急に結論を出していかないといけない」
確かに今後の道筋は早急につけられつつある。しかし、そこに“血”が通っているとは思えない。思い起こされるのは2000シーズンのオフ。元日本代表FW呂比須ワグナーの退団に伴う騒動だ。
2年連続でチーム得点王になった呂比須だったが、年が明けると32歳になる年齢が考慮されたのか。2度目の交渉で「子どもを対象としたコーチ」への就任、つまり引退を打診されると怒り心頭にまくし立てた。
「戦力が整いながら、なぜグランパスが勝てないのかがわかった。サッカーを知らない人がフロントにいる」
悪しき体質は、残念ながら21世紀のいま現在も変わらないのかもしれない。小倉GM兼監督体制が誕生した背景にも、トヨタ自動車から出向してきたクラブ幹部と久米社長らの主導権抗争があったとされる。
今年6月には、グランパスがトヨタ自動車の完全子会社となる手続きが完了している。それに先駆ける形で、グランパスは2016シーズンを「改革元年」と位置づけてもいた。