一時は残留圏内まで浮上も、そこで落ちた影
監督とGMとを兼任させる異例の形態について、グランパスの久米一正代表取締役社長はベルマーレ戦後に急きょ行った記者会見でこう説明している。
「小倉前監督を招聘したのは誰かと言えば、私が彼を推薦しました。そして、選手の獲得を決めていく、あるいは見極めていく作業において、彼はGM補佐でしたのでGM兼監督にしたほうがスムーズに動くのではないか、という考えに至りました。
残念ながら不名誉な記録を作ったところで小倉前監督には休養していただき、ボスコさんをつれてきたわけですが、なかなか上手く機能していかなかった。その点でフロント力の甘さがあったと、大いに反省しています」
もっとも、ジュロヴスキー監督の手腕は、J2降格という最悪の結果をもって一概に評価されるべきではないだろう。就任時の年間総合順位は16位で、最終的には降格圏から脱出することはかなわなかった。
しかし、就任時で残留できる15位のヴァンフォーレ甲府と「7」も開いていた勝ち点は、終わってみれば15位のアルビレックス新潟と勝ち点「30」で並び、得失点差で後塵を拝する形で16位に泣いている。
ジュロヴスキー監督はヘッドコーチとしてドラガン・ストイコビッチ体制の6年間を支え、2013シーズン限りで退団して以降も、クラブの精神的支柱であるDF田中マルクス闘莉王とコンタクトを取り合ってきた。
闘莉王自身もクラブ側と年俸を含めた条件面で折り合わず、昨シーズン限りで6年間在籍したグランパスを退団。生まれ故郷のブラジルへ戻り、来シーズンからのJリーグ復帰を目指して自主トレを積んでいた。
自他ともに認める闘将を、グランパスへ呼び戻したのはジュロヴスキー監督だった。今春に結婚し、臨月が迫っていた夫人のアリエレを残して再び日本へ向かった闘莉王は、9月11日のアルビレックス戦から復帰を果たす。
その一戦で19試合ぶりとなる白星をあげたグランパスは、10月1日のアビスパ福岡戦で大量5ゴールを奪って快勝。年間総合順位もJ1に残留できる15位に上げて、完全に復調したかに見えた。
しかし、インターナショナルマッチデーとYBCルヴァンカップ決勝が続いた関係で、J1が3週間も中断した「飛び石」のスケジュールが、右肩上がりに転じかけた軌跡に決して小さくない影を落とした。
再開された先月22日。ホームの豊田スタジアムにジュビロ磐田を迎えたセカンドステージ第15節で、グランパスは時間の経過とともに攻守両面でチグハグな状態に陥り、1-1のドローに終わってしまう。