ジュビロへ「いい風を送れたらいいかな」
日本から遠く離れたバーレーンの地で戦いながら、所属するジュビロの動向も気にかけていた。セカンドステージでは1勝7分け8敗と白星から遠ざかってしまったことで、待望のJ1復帰を果たした1シーズン目は、気がつけば残留争いに巻き込まれてしまった。
3日午後1時半からいっせいにキックオフされる最終節は、敵地ユアテックスタジアム仙台でベガルタ仙台と対峙する。現在勝ち点33の13位。引き分け以上で勝ち点3差にひしめくヴァンフォーレ甲府、アルビレックス新潟、名古屋グランパスの結果に関係なく、自力で残留を決めることができる。
ベンチ入りの回数を比較すれば、ファーストステージの1試合からセカンドステージでは4試合へと増やしている小川は、深夜の羽田空港に降り立った瞬間からモードを切り替えていた。
「自分がちょっとでも(ジュビロへ)いい風を送れたらいいかな、という思いももって(U-19日本代表で)プレーしていた。自分にもまだできることがあると思うし、自分がちょっとでも貢献できたと言えるように、残留を目指して残り1戦を頑張りたい」
高校から加入する、あるいはユースから昇格するホープたちが、Jリーガーになったとたんに真剣勝負の機会と時間とを失い、ゆえに伸び悩むという課題を日本サッカー界は長く抱えてきた。2006年大会を最後にFIFA・U-20ワールドカップから遠ざかってきたこととも、決して無関係ではないだろう。
そうした「負の歴史」にJ1でたくましく成長した中山や冨安、J3でゲーム勘やゲームフィジカルを磨いた堂安らを中心とするメンバーで終止符を打った今大会。プロとしての実績こそ彼らに劣る小川だが、岩崎と並ぶチーム最多タイの3ゴールをあげた活躍ぶりは、ここから先、ジュビロで経験と実績を積み重ねていけばさらに大輪の花を咲かせるポテンシャルを、恵まれたボディに秘めていることを物語ってもいる。
「今回の優勝で東京オリンピックへの期待も高まったと思うし、その期待に応えていかなきゃいけない。まずはワールドカップで、自分たちがどれだけ世界に通用するかを示していきたい」
1997年1月1日以降に生まれた選手たちで編成された今回のU-19日本代表は、そのまま2020年には東京オリンピックに臨むU-23日本代表へ育っていく。来年5月20日に韓国で幕を開けるFIFA・U-20ワールドカップをへて4年後に紡がれていくドラマが、小川たちの弾けるような笑顔とともに幕を開けた。
(取材・文:藤江直人)
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