「自分たちのサッカー」からの軌道修正
既製服の形は4-3-3だった。4-4-2型の4-2-3-1を続けてきた日本にとっては新しい試みである。Jリーグにも4-3-3のチームは少なく、本格的なアンカーがいないという問題はあったが、人材豊富なインサイドハーフを使えるメリットはあった。
本稿は4-4-2がテーマになっているので詳しくは触れないが、4-3-3をベースにしたアギーレ監督は、攻撃型のチームをイメージしていたと思う。ただし、自陣から無理につなごうとするよりはロングボールを推奨するなど、現実的な味付けも入れながら「自分たちのサッカー」からの軌道修正を図っていた。
就任からの4試合は1勝1分2敗。ジャマイカに1-0で勝ち、ベネズエラに引き分け(2-2)、ウルグアイとブラジルに敗れている。緒戦のウルグアイ戦が0-2、4戦目のブラジル戦が0-4。ここまでが選手選考の期間だった。
ブラジル戦まで選手のテストに使ったのは意外だったが、その後のスケジュールを考えると、ブラジル戦まではどうしても選手層の拡大に使いたかったようだ。逆にいえば、アジアカップの準備に2試合が必要だと考えていたわけだ。
アギーレ監督はそれまで招集していなかった遠藤保仁など従来の主力を呼び戻し、ホンジュラス戦に6-0、アジア王者になるオーストラリアも2-1で下した。いつものメンバーを揃えた途端、それまでのぎこちなさが消えて強い日本になっていた。
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