地元メディアとの軋轢は絶えず
その結果W杯予選通過を果たし、本戦では16強入りという成績も残したわけだが、とくにラウンド16でのドイツ戦での戦いぶりは、接戦の末敗れはしたが、ヴァイッド・ハリルホジッチ流サッカーを世界中に知らしめる名戦となった。
ラウラウラ会長との関係は決して良好というわけではなく、互いに個性の強い2人はぶつかりあうことも多かったが、アルジェリア代表の発展のために両者は手を取り合った。
その蜜月が終わりを迎えたのはW杯後のこと。ラウラウラ会長はハリルホジッチに契約延長をオファーしたが、彼が固辞すると、以来2人は言葉を交わしていない。
しかしその後監督に就任したトルコのトラブゾンスポールでは成績不振を理由にわずか2ヶ月で職を解かれ、2015年3月に、日本代表監督に就任した。
アルジェリア代表監督時代は地元メディアとの軋轢も絶えなかった。
就任直後から、ハリルホジッチはジャーナリストには強い語気で接するアグレッシブな姿勢を貫いていたが、彼には狙いがあった。そうして自分自身に注目を集中させることで、選手たちをメディアのプレッシャーから遠ざけることだ。
歴代の代表監督でも、これほどメディアに非協力だった人物は記憶にない。彼はメディアに関わるすべてを自分でコントロールし、スタッフはもちろん、選手たちにも試合内容などについて一切報道陣に語らないようにという戒厳令をしいた。チーム内がどんな状態にあるかという情報が外部に漏れることを防ぐためだ。
しかしW杯で好成績をおさめたということは、彼の作戦が奏功したということでもある。そして、この成功により、ハリルホジッチはアルジェリアで英雄的存在となった。