「日本らしい」スタイル
ボールは運べる、ある程度崩せるし点もとれる。しかし、それ以上に失点してしまう。敵陣の攻守は十分通用した。半面、自陣での攻守は不安定だった。ボールを奪う力が足りず、パスをつなごうとしてミスをして失点していた。
敵陣での攻守を増やすという戦い方のコンセプトが正しいことははからずも証明されたわけだが、敵陣のみで攻守を完結させられるほど日本は強くない。自陣でのプレーを向上させないかぎり強豪国に勝つのは難しかった。
コンフェデ杯後、ザッケローニ監督は新戦力の発掘に着手している。前田遼一が外れ、大迫勇也や柿谷曜一朗を1トップにテスト。ボランチに山口蛍、CBの森重真人などが台頭してきた。
ただ、チーム全体の問題点は解決していない。日本らしいサッカーは、強豪国に対してもある程度は通用することはわかった。しかし、それでは勝てないこともコンフェデ杯で示された。軌道修正を図るのか、それとも日本らしさを極めることで打開するのか。
日本らしいサッカーには積み上げていける状況がある。選手たちの特徴を発揮できて好みにも合っているので、何が良いプレーで何が良くないかを相互評価しやすい。戦術を監督に押しつけられているわけではないので、自分たちの価値観で改善しやすく、内部の相互評価を繰り返すことで精度を上げていける土壌がある。
その点では継続、発展させやすく、日本らしいスタイルを確立しやすい。代表選手たちが「自分たちのサッカー」と言っていたのは、まさに自分たちの手で作り上げていく実感があったからだろう。
ただし、日本らしさだけではワールドカップで結果を出すには足りなかった。
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