日本らしくあることとW杯を勝ち抜くこと
アジアカップで骨格が出来上がった日本は、強みであるパスワークを生かした攻撃型のチームだった。
遠藤保仁を軸とした後方のビルドアップから、長友佑都と内田篤人の両SBの前進、香川と本田圭佑による「間受け」、攻撃の2枚看板にスペースを提供するための1トップ(前田)による相手ディフェンスラインの牽制、岡崎慎司の神出鬼没な動き……個々の特徴を生かしながら組み合わせている。
安定したパスワークでボールを保持して相手を押し込み、押し込むことでコンパクトな状態を作る。敵陣で失っても素早くプレッシャーをかけて奪い返すか、苦し紛れにロングボールを蹴らせて回収。この流れは確かにバルセロナと似ていた。
基本フォーメーションは4-2-3-1。ザッケローニ監督には3-4-3という十八番があり、「私のドレスのようなもの」とまで話していたトレードマークだったのだが、機能している4-2-3-1を変えてまで押し通そうとはしなかった。3-4-3は「オプション」にとどめ、少しずつテストしながら熟成を待った。こうした柔軟性や懐の深さは、最初の2年間に関しては上手く作用した。
ザッケローニ監督のチーム作りは、「無理のない日本化」を進めた岡田前監督の流れを期せずして受け継ぎ、より高い次元に持っていくことに成功したといえる。日本代表は、「日本らしいサッカー」を持ち始めていた。ジーコから始まった「日本化」は、ザッケローニの時代に集大成を迎えた感がある。ただ、日本らしくあることと、ワールドカップを勝ち抜くことは、イコールではなかった。
(文:西部謙司)
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