「ジュビロで活躍できなかったのは自分のせい」
盛夏の日、鹿島アントラーズの練習場。小雨がパラパラ降ったり、止んだりのはっきりしない一日だった。眼前には風力発電の巨大な風車がそびえる。
クラブハウスから出てきた選手たちが集合し、軽いフィジカルトレーニングを行ったあと、ピッチに散っていった。山本脩斗はいかにも経験のある選手らしい、落ち着いた佇まいだ。右足、左足、ボールタッチの感覚を確かめるように蹴り、走る。時折、日焼けした顔から白いものがこぼれた。
選手のインタビューは、練習後に身体のケアや食事などがあり、しばらく待機となるのが通例だが、山本は手早く身なりを整えて部屋に現れた。決められた仕事は先延ばしにせず、早めに着手したいタイプとのことである。
山本は快活な口調で語った。これまでの道のりを、サッカーとの関わり方を。体調の異変といったシリアスなテーマでは、笑顔を交えておどけてみせた。
印象に残るのは、言い訳をよしとしない断固たる姿勢である。
ジュビロ磐田との仮契約の直前に判明した、ページェット・シュレッター症候群(原発性左鎖骨下静脈血栓症)について問うと、山本はこう言った。
「プレーには影響はしてないです。ジュビロに入り、活躍できなかったのは自分のせい。要所要所でチャンスをもらいながら、継続して高いパフォーマンスを発揮できなかった」
やや食い気味の返答である。即戦力として活躍できなかったのはあくまで実力の問題であり、他を介在させることを潔しとしない。
もうひとつ、山本の言葉は端々に向日性を感じさせた。過去、出会った指導者について、山本は次のように話す。
「僕はとても恵まれたと思います。小5のときに入った、上田サッカースポーツ少年団は楽しんでプレーすることができ、サッカーをより好きになれた。以降、現在に至るまで指導者の方々がさまざまな要素を分け与えてくれたおかげで、成長できたと感じます」
きれいごとのように聞こえるが、それが山本の心情だと伝わってきた。