日本は「豪州に勝ちきれなかったこと」への再考を
「何とも“日豪戦らしい”日豪戦」――。日本の友人から試合評を求められて、メッセージしたフレーズだ。スコアは1-1、ドロー。何とも煮え切らないままに試合が終わり、お互いの手強さをあらためて再確認する。今までの日豪戦で何度も見てきた光景だ。
実際、06年以降、同じアジアで相まみえるようになってからの日豪戦の成績は、9戦して日本の3勝1敗5分。W杯最終予選に限定した成績は、豪州の1勝4分けとなった。やはり、接戦でドローが多いというイメージは間違いではないのだ。
では、この天王山となる試合での勝ち点1をどう総括するのか。盛んに「前半を無駄にしてしまった」を繰り返したポスタコグルー監督の心中を慮るならば、失望。過酷なアウェイからの移動を経て、戻り切れないコンディションの中での精彩の無いプレーで負けなかったことを考えれば、一安心。
この場では豪州について書くことを求められてはいるのだが、長年、豪州を通して日本代表を見させてもらっている立場から、最後に一言だけ。日本が、アウェイとは言えど昨晩のあの出来の豪州に勝ちきれなかったことの持つ意味、影響を日本サイドは冷静にレビューして欲しい。アンジ・ポスタコグルーという監督は、来年8月に同じ轍を踏むとは、到底考えられないからだ。そのことを、メルボルンの地で去りゆく祖国の代表を見送りながらの筆者なりのメッセージとしたい。
(取材・文:植松久隆【メルボルン】)
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