手倉森コーチの復帰を帰国まで知らず
新天地シュトゥットガルトでのポジション争いの日々に、よほど集中していたのだろう。遠く離れたドイツの地で、FW浅野拓磨は日本サッカー界の動向に驚くほど無頓着だった。
たとえば、今夏のリオデジャネイロ五輪を指揮した手倉森誠監督が、コーチとしてハリルジャパンに復帰したことを、浅野は10月シリーズへ向けて日本へ帰国するまで知らなかった。
「テグさん、何でここにいるんですか?」
イラク代表とのワールドカップ・アジア最終予選へ向けて、埼玉県内で行われていた直前キャンプに一日遅れの3日から参加した浅野にとって、ブラジルの地で苦楽をともにした指揮官が目の前で大声を飛ばし、ときには得意のギャグで笑いを誘っている光景が摩訶不思議に映った。
思わず尋ねた浅野に対して、手倉森コーチは「お前、知らないのか」と驚きながらも、笑顔でハリルジャパンへの合流を歓迎してくれたという。
「テグさんが入って、お笑いの数が少し増えたんじゃないかなと思いますし、トレーニングのなかでもテグさんのほうから声を出して、盛り上げてくれるシーンも何度かあったので。何か雰囲気がひとつ変わったというか、僕自身、オリンピック代表ですごく頼りにしていた指揮官なので、僕のなかで頼りになる人がまた一人、増えたのかなという安心感もありますね。僕らの(リオデジャネイロ五輪)世代にとっては、テグさんがいるのといないのとでは全然違うんじゃないかなと思うので」
3シーズン半所属したサンフレッチェ広島から、プレミアリーグの名門アーセナルへ完全移籍したのが7月上旬。しかしながら、プレーするために必要な労働許可証が発給されず、リオデジャネイロ五輪後は一時帰国して休養を命じられた浅野をめぐる状況が風雲急を告げたのは8月下旬だった。