「最後までやり通すことが、前を向く唯一の材料」
連敗はついに二桁にまで伸び、セカンドステージに続いて年間総合順位でも最下位に転落した。残り5試合で、J1残留ラインの15位・アルビレックス新潟との勝ち点差は「8」と開いたままだ。
「5年間監督を務めて一度しか残留できていないので、わかったような口を利けないですけど」
アビスパ戦後の公式会見で曹監督はこう断りを入れたうえで、J1に残留できるチームとできないチームの違いを問うメディアに対して、こんな言葉を紡いでいる。
「クラブの哲学として信じてきたものを最後までやり通すことが、チームが前を向く唯一の材料だと思っています。負けたからやり方を変えるとか、もちろんやり方というのは、システムを変えるというのはあるんですけど、もともと持っている、自分たちが大事にしているDNAを最後まで貫いていけるチームは今年もしくは来年、3年後、5年後、10年後に必ず右肩上がりのチームになっていくと思っています」
DNAとは冒頭で定義を記した「湘南スタイル」に他ならない。ベルマーレの歴史を振り返れば、決して曹監督のもとだけで「湘南スタイル」が語られるようになったわけではないこともわかる。
トップチームの戦い方だけに限れば、2007シーズンに就任した菅野将晃監督(現ノジマステラ神奈川相模原監督)が、2000シーズンからJ2を戦ってきたベルマーレという畑を耕しては種をまいた。
水を与え、顔を出した芽を育てたベルマーレ平塚時代のOBである反町康治監督(現松本山雅FC監督)のもとで、2009シーズンには実に10年ぶりとなるJ1昇格を勝ち取っている。
そして、2005年シーズンに育成組織全体を統括する立場でベルマーレに入り、ヘッドコーチから2012シーズンに昇格した曹監督のもとで2度のJ1昇格と、悲願でもあった残留を果たした。
さらにさかのぼれば、責任企業をもたない市民クラブとして再出発した2000シーズン。財政難に伴い、中学生以下の育成組織を一時的に廃止する案に真っ向から反対したのが、ベルマーレの経営に参画したばかりの眞壁潔常務(現代表取締役会長)だった。