「データのおかげで試合に勝ったって断言するのは難しい場面もある」
また、スプリントを例にとると、自陣に返るスプリント、相手のゴールに向かうスプリント、それを分けるだけでも大分違うのだという。
「そこに距離と時間帯のデータが加われば、例えば、ある試合である選手のスプリントが0本だったという場合に、本当に走れなくてダメなのか、いや、良いことをしているんだけど、スプリントに入る前に足を止めちゃっているのかとか、色々な話が出てくると思います。データを鵜呑みにし過ぎず、細分化できれば、こんなことも知れるんですという意見交換の場をメディアの方々と持てれば、と思います」
“エデュケーション”というと、上位下達の一方的な関係性のようだが、プロゾーンの場合はそうではない。浜野氏が「意見交換」とも訳すように、双方向のコミュニケーションのことだ。やはり最後は、人対人、になってくる。データは、相互のコミュニケーションを生み出す媒介物でもある。
そして浜野氏によれば、データは「お守り」のような一面も持っているという。
「例えば、データのおかげで試合に勝ったって断言するのは、難しい場面もあります。データがあったからこそ自信が深まったとか、最後の判断のときにちょっと助かったとか、最後の一押しを助けられる存在になれたらいいなと思います。
PKの場合、特にそうですよね。PKもキッカーのデータがあったとしても、キーパーの技量次第では止められないですから。あくまで選手ありき、なんです」
状況が刻一刻と変化し続ける90分間の中で、ふとした瞬間に助けてくれるもの。それがデータということになるだろうか。
現在では、もはやデータ分析のない世界は考えられない。そうかと言って、データ分析がサッカーを進化させてきた/いるとも言い切れない。
目の前の数字を、用いるか用いないか。用いるのであれば、どのように用いるのか。
全ては人間が決める。
サッカーは、人間対人間のスポーツ=コミュニケーションである。
(取材・文:本田千尋【デュッセルドルフ】)
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