「コイツがいるので、オレは何も心配していません」
レッズでプレーしていたときから、左サイドは「原口ゾーン」と呼ばれた。タッチライン際からドリブルでカットインして、スピードに乗った状態から右足で放つシュートは対戦相手の脅威になった。
その「原口ゾーン」はブンデスリーガ仕様でさらにパワーアップ。加えて右サイドからもドリブル、シュート、味方とのコンビネーションを駆使した崩しと多彩なバリエーションを搭載していた。
レッズの育成組織出身の偉大なる先輩として。そして、左右の両サイドを主戦場とする快足ドリブラーとして。4歳年上の原口の眩しく、大きな背中を関根はずっと追いかけてきた。
迎えた2014シーズン。関根の昇格とともに、2人はレッズで初めて同じ時間を共有する。そして、ヘルタ・ベルリンへ完全移籍するまでの約半年間で、原口は自分の後継者は関根だと確信していく。
原口の壮行試合を兼ねた、2014年6月1日の名古屋グランパスとのナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)予選リーグ。埼玉スタジアムのピッチ上で、原口はファンやサポーターへこんな言葉を残している。
「コイツがいるので、オレは何も心配していません」
コイツとは、試合後のセレモニーで原口への花束贈呈役を担った関根。この瞬間、ルーキーはある決意を固めている。オフになって、背番号を「26」から「24」に変えたいとフロントに申し出た。
レッズの「24」番は、原口がルーキーイヤーの2009シーズンから5年間にわたって背負ってきた。憧れの存在から託されたバトンを、背中の重みとともに引き継いでいく覚悟の表れでもあった。
背番号の変更が認められた昨シーズン。5月のJ1月間MVPを受賞するなど、史上初の無敗でのファーストステージ制覇に大きく貢献した関根はこんな言葉を残している。
「ようやく背番号を意識しないようになったけど、浦和レッズのサポーターの方々は期待してくれていると思うし、その期待に恥じないプレーをしようと常に言い聞かせながら試合に臨んでいます」