「日本サッカーを日本化する」
2006年ドイツワールドカップの後、イビツァ・オシムが日本代表監督に就任。それまでの監督の中では、最も実績のある人物だった。オシム監督の名を高めたのはジェレズニチェル、シュトルム・グラーツといった中小規模のクラブチームでの実績だ。
ユーゴスラビア代表を率いてのベスト8(1990年イタリアワールドカップ)という華々しい戦績があり、旧ユーゴとギリシャのビッグクラブであるパルチザン・ベオグラード、パナシナイコスを率いたこともある。
しかし、オシムの手腕が発揮されたのは中規模クラブのほうだ。ユーゴもワールドカップでは中堅であり、Jリーグでのジェフユナイテッド市原・千葉もしかり。その点で、当時FIFAランキング40位あたりの日本を率いるにはうってつけの監督だったかもしれない。
オシム監督は就任会見で「日本サッカーを日本化する」と話している。世界標準を周回遅れで追いかけるのではなく、持っている素材を生かして独自の道を歩もうという姿勢は前任のジーコと同じだ。マンマーク寄りの守備戦術も似ていた。ただし、オシムとジーコは似て非なるものといっていい。もちろん、その前のトルシエ監督とも違っていた。
トルシエは「戦術は60パーセント」と話していた。しかし、その60パーセントに関しては100パーセントを要求している。細かい約束事を徹底させ、選手は選択の余地なくそのとおりにやらなければならなかった。ジーコは約束事自体を選手間の話し合いで作ろうとしていた。トルシエとは対照的なアプローチだ。