大きかった小笠原の存在。鹿島にはすんなり溶け込めた
――鹿島における生存競争の激しさはリーグ屈指と思われますが、2014年の移籍初年度から32試合に出場し、レギュラーの地位を確固たるものにしました。これは適応力の高さによるもの?
「適応力はそれほど高くないと思っています。だから、プロになってもすぐには芽が出なかった。徐々に、徐々に、ですね。ジュビロでの6年間があったので、まだまだ未熟な部分を自覚しつつもある程度は自信があった。それで、うまくフィットできた感じはあります。
不思議と、最初の試合からやりにくさや違和感がなかったんですよ。周りの技術がある分、カバーしてくれたり、長所を生かしてもらえたんでしょう。初めての移籍で緊張していたんですが、思ったよりすんなりとチームに入っていけた」
――そこは、同じ東北人の小笠原選手の存在が大きいのかな。
「大きいですね。アントラーズとサインしてから、満男さんには『家、決まったか?』と気にかけてもらったり、『始動日の前にちょっと練習するから来ない?』と僕を誘い出し、ひと足早くクラブハウスの案内やスタッフさんを紹介してくれて。満男さんがいたから、同年代の(中田)浩二さん、モトさん(本山雅志/ギラヴァンツ北九州)、ソガさん(曽ヶ端準)からも気さくに接してもらい、ありがたかったです」
――新顔が入りやすい空気をつくったんだ。
「そういうさりげない優しさがある人です」
――先ほど話に出た東京ヴェルディの冨樫監督が、若手の安西幸輝や安在和樹などのサイドバックによく話していることがあるんです。「鹿島の両サイドバック、右の西大伍と左の山本脩斗は育成年代ではともに10番を付けた選手。ゲームメイクの感覚持っている選手がサイドをやることによって戦術に広がりが出るんだぞ」と。かつて中盤でプレーしていたメリットは感じますか?
「そうなんですか。でも、つくりの部分は僕より大伍のほうがずっと上。右サイドの大伍とヤス(遠藤康)の絶妙なコンビネーションは、ほかではなかなか見られないレベルだと思いますよ」