地元の子どもへの支援も開始。シンデレラストーリーは続く
父のカルロスが会心の笑みを浮かべて声を強める。
「そこからバッカの本格的なサッカー人生が始まりました。ジュニオルの下部組織『FCバランキージャ』で得点王になり、すぐにトップチームに引き抜かれました。ジュニオルでもコロンビアリーグ得点王に。ベルギーリーグの『ブルッヘ』でも得点王になりました。そうやって彼は次々とヨーロッパの階段を上っていったのです」
バッカの成長を見続けているのは家族だけではない。
この家の近所一帯が最高潮に盛り上がったのは、当時バッカが所属したスペインのセビージャがヨーロッパリーグ(EL)を制した日と、レアル・マドリード相手に2-1の逆転勝利を収めた2013/2014シーズンの第30節だ。その2得点を叩き出したのが、バッカだったのだ。
その日、バッカの実家のあるノルテ・ドス地区はお祭り騒ぎで近隣住人たちは翌日の仕事など手につかなかったという。以来、家の前の通りは「カジェ・バッカ」(バッカ通り)と名付けられ、近くに小さな公園もあるせいか、人口約5万人のプエルト・コロンビア市民はここでバッカの話に花を咲かせるようになった。バッカは小さな町の期待をも一身に背負っているのだ。
父親にインタビューしたこの日、2014年5月20日は、バッカが牽引したスペインのセビージャがヨーロッパリーグ(EL)を制した直後だった。この翌年にACミランに移籍して本田圭佑と同僚になるわけだが、バッカは優勝の余韻が覚めやらぬ数日後に父親に頼んで一枚のチラシを玄関の脇に貼っている。
――カルロス・バッカ基金を設立しました。少年少女を対象にスポーツに関わる支援をします――
コロンビアの名もなき村で動物に囲まれていた少年は、バス会社で働きながら夢を追い続け、欧州サッカーの檜舞台に立った。ブルッヘで、セビージャで、ミランでエースとなった。しばらく空白が続いていたコロンビアA代表のエースの座を射止めたのもバッカだ。
ミラン2年目――。シンデレラストーリーは今も続いている。
(取材・文:北澤豊雄)
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