チーム崩壊につながった序列主義
ジーコ監督のチーム作りは「序列」重視だった。メンバーを固定して連係を深めていくという方針である。「黄金の4人」と呼ばれた中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一のMFが軸になるはずだったが、負傷やコンディション不良で4人が揃ったことはほとんどなかった。
「黄金」の元祖であるブラジル代表のほうも、実はジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾが揃ったのは82年ワールドカップが始まってからで、メンバーを固定してきたわけではない。個々の能力と高い即興性によって成立していたカルテットだった。個の技術と戦術眼が高ければ、高度な連係は可能という好例かもしれない。
個の能力を信頼し、戦術的な縛りを最小限にとどめる方針は、それまでの日本代表にはなかったやり方だったが、チーム作りとしては珍しくない。効果もそれなりに期待できる。ジーコは日本を去った後、フェネルバフチェを率いてクラブ初のCLベスト8進出を果たしている。トルシエ、オシム、ザッケローニ、アギーレ、ハリルホジッチもそこまでの実績は残していない。ただ、当時の日本には合っていないやり方だった。
ジーコの能力主義、序列主義は結果的にチームの崩壊につながっている。能力優先はプロとして当たり前で、どのチームにも序列は存在する。そこに実力主義が貫かれているかぎり大きな問題はない。しかし、実力以外の序列が介在すると、この方針は成立しなくなる。日本の問題は、「海外組」と「国内組」という2つのチームを抱え込んでしまったことにあった。