ペップは“当代きっての名将”なのだろうか?
エヴァートンから次代の大物、ジョン・ストーンズを獲った。フィールドプレーヤー並みの能力が欲しいという理由で、イングランドの守護神、ジョー・ハートを事実上の戦力外にした(結局、トリノにローン移籍)。メタボに苦言を呈してサミル・ナスリを追い出した。
これらから分かるのは、チームの誰一人として気を抜くことは許されないという警告、意識改革だ。名前と過去の実績はほんのサブテキストに過ぎないという、メッセージ。
シティー新監督ペップはそこから出発した。そして、いかにも彼らしいのは、開幕して間もない頃「こんなに出来るチームなのかと感動」してみせ、メンバーに媚びたと見せてその実、自らの改革プランが正しい方向に向かっていると、暗に知らしめたことだろう。
さてこれは、アメと見せかけてムチを振るうにも似て、諸刃の剣にはなるまいかと、ふと気がかりに思ってしまう。というのも(筆者は)まだ半信半疑なのである。ペップ・グアルディオラは本当に“言われるほどの当代きっての名将”なのだろうか、と――。
彼の「栄光と名声」の根拠を支えるのは、バルセロナとバイエルン・ミュンヘンで成し遂げた“ほんの数年間”の成果である。おそらくは、グアルディオラであろうと誰だろうと、各リーグで優勝争い最右翼のクラブを短期間率いての、だ。
だからこそそのプレッシャーは並大抵ではない、あるいは、それに打ち勝って期待に応えられる力量を認められたからこそ請われたのだ、という意見もあろう。
が、ならば問う。グアルディオラ率いるバルサ、バイエルンは、それまでとどこがどう変わったのか。筆者にはそれが見えない。
今のところ、その特徴に肉迫するとしたら、ハートやナスリの処遇などから考えて、彼ならではの研ぎ澄まされた戦術眼に基づいて、各ポジションで最高の能力を引き出すための見極めと強化、その引き算足し算が、監督グアルディオラのアイデンティティー、といったところだろうか。
それが今後のシティーに何をもたらすかは、もちろん判断するに時期尚早。当然ながら、このダービーマッチの結果をもっても定かになるはずもない。