ペップとモウリーニョの「宿命の対決」
シーズンは始まったばかり…にもかかわらず、何やら尋常でなく騒がしい。まるで、この勝敗が今後の行く末を、その展望の大筋を占う目安になるかのごとく――。
爾来、マンチェスター・ダービーがそんな位置づけにあったためしはない。突き詰めて言うなら、誰と誰が率いていようが、ときの陣容がどうあろうと、文字通りすべてをなげうっても勝利あるのみの、いわば“別の生き物”である。それを百も承知で、人々は待ってましたとそわそわうずうず、何かのヒントを乞い望み、探り当てようとしている。
なぜなら――今や錚々たる多国籍軍団と化した両軍を率いる将が、揃って今を時めく知る人ぞ知る優勝請負人であり、かつ因縁のライバルだからだ。
あえて言おう。それだけ、である。ペップ・グアルディオラとジョゼ・モウリーニョの「宿命の対決」。バルサとレアルがシティーとユナイテッドに時と場所、姿と形を変えただけ。だからこそ、人々は鵜の目鷹の目で「かつてない何か」を期待する。ともに、ほぼ危なげなく三連勝しての激突という、出来過ぎたスタンスがそれをさらに煽り立てる。
だが、そうであればあるほど、もはや勝敗は二の次、いや、ものの足しにもならない!?
誰もが息を殺し、どこか野次馬の高みの見物よろしく、“それ以上の何か”に飢えている。職業ジャーナリストは言うまでもなく、通も含めた一般のファンでさえも。
例えば――焦点はぐっと絞られるだろう。イングリッシュ・プレミアリーグの何たるかに、異邦の数多の指導者、プレーヤーたちが、ときにため息をついて語り、こぼしてきたその骨の髄に、まだ肌で接して間もない“新参者”のペップが、シティーをいかほどに自家薬籠中のものにしつつあるのか、あるいはその明確な兆しを見せてくれるのか――。
とまあ、こんな勿体つけた書き出しをする筆者の苦しい心中はお察しいただけると思う。正直、わからないのだ。参考になるゲームの数があまりにも乏しい。そもそも、すでにえり抜きのワールドクラスが揃う、ほぼ熟したチームをどういじれば“変わる”というのか。