「『自分が』っていう強い気持ちを持ってやるのが日本代表」
言葉通りにチーム状態を上昇させ、白星を積み重ねていくためには、彼自身が指摘した「勝負弱さ」や「気合、根性の不足」を全員が認識し、それを克服するように意識的に取り組んでくしかない。特に環境の異なるアウェイでは課題の脆さが致命傷になりかねない。それゆえに、1人ひとりが強い自覚を持つべきなのだ。
「(メンタルの部分は)すぐには変わらないけど、まず意識のところから変えないと。マインドを変えるきっかけを(自分が)与えたいってところですよね。
僕自身、引っ張れるところは引っ張らないといけないし、それは僕だけじゃなくて、経験のある何人かの選手は同じことを思っている。若手は若手で引っ張られてばっかりじゃダメだという責任感も芽生え始めているでしょうし、それが日本代表だと思うんで。
『自分が』っていう強い気持ちを持ってやるのが日本代表。そういう選手しか集まってないとおかしい。それをあとはピッチの中で表現して結果として出すしかない」と本田は経営者的な視点も見せながら同僚と自分自身への叱咤を口にしていた。
過去のW杯予選を振り返っても、初戦黒星こそなかったが、チームが空中分解してしまいそうな危機は何度もあった。もはや「過去の歴史」という位置づけなのかもしれないが、史上初の本大会切符を獲得した98年フランスW杯最終予選の浮き沈みなどは、想像を絶するものがあった。
ホーム・日韓戦での逆転負け、加茂周監督解任と岡田武史コーチ(現FC今治代表)の昇格、自力突破の可能性消滅、東京・国立競技場でのエース・三浦知良(現横浜FC)に対するパイプイス投げつけ事件、アウェイ・日韓戦からの復活、ジョホールバルの歓喜と、97年9~11月の3ヶ月間の壮絶な日々を昨日のことのように思い出す人も多かろう。
86年生まれで当時小学生だった本田はその印象がひときわ強い世代。幼心の中にも当時のことが深く刻まれているようだ。