韓国代表での主戦場は左サイドバックか
例えばクラブハウスへ姿を現す時間。練習開始までに余裕をもって到着するように心を入れ替えたが、常に加地が一番乗りだったという。身体のケアを含めて練習に取り組む姿勢と、チームメイトに対して分け隔てなく優しく接する姿。加地の背中が、日本におけるオ・ジェソクの“羅針盤”となった。
加地は2013シーズンあたりから、チャンスが来たときには海外でプレーさせてほしいとフロントに要望していた。ガンバの黄金時代を支えた功労者の想いをフロントも尊重していたところへ、2014シーズンの夏にMLSのチーヴァス・USAから完全移籍でのオファーが届いた。
おそらく加地はオ・ジェソクのポテンシャルを見抜き、ガンバの右サイドバックを支える一人になってほしいと思っていたのだろう。ワールドカップ・ブラジル大会中に開催された送別会の席で、加地はオ・ジェソクと米倉に対してこんな言葉を残している。
「オレのポジションは、これからお前たち2人が争え!」
左太ももの負傷で代表初招集を棒に振った3月も、すぐに加地と連絡を取っている。
「加地さんは『もったいないけど、まだまだチャンスがある』と励ましてくれました。今回はまだ連絡していないんですけど、ワールドカップ予選を終えて、日本へ帰ってきたら電話します。その意味でも、最終予選のピッチに立ちたいですね」
シュティーリケ監督の構想では、オ・ジェソクを左サイドバックの候補として招集したという。
「Kリーグでプレーしている選手ともう一人、FC東京から中国の広州富力に移籍したチャン・ヒョンスとポジションを争うと思う。チャンは以前はセンターバックでプレーすることが多かったけど、最近は左右両方のサイドバックを務めているので」
ワールドカップ・ロシア大会出場をかけたアジア最終予選のグループAには、韓国、中国、シリアの他にイラン、ウズベキスタン、カタールが入った。9大会連続で、アジア地区では最多となる10度目のワールドカップ出場へ。日本で心技体を磨き、韓国代表に食い込むまでに成長したJリーガー・オ・ジェソクは武者震いを抑え、感謝の想いをエネルギーに変えながら中国代表戦のキックオフを待っている。
(取材・文:藤江直人)
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