プロ入り直前で原発性左鎖骨下静脈血栓症に
――選手として年輪を重ねるごとにじわじわ力をつけてきた、いわゆる遅咲き、晩熟型のプレーヤーにスポットを当てるシリーズなんです。それぞれのターニングポイントはどこにあったのだろうと。
「なるほど、了解です」
――段階的に上がってきたという自覚がありますか?
「僕はもとからそういうタイプ。苦労というか、我慢の時期のほうが長かった。プロに入ってからは特にそうですね」
――といっても、高校時代は強豪の岩手・盛岡商業(以下、盛商)で、2年から10番を背負った。
「わりと最初の頃から試合で使ってもらえました。ただ、やっている充実感、プレーの満足度はまた別で、徐々に上がってきたと思います。中学、高校、大学とそのステージごとに少しずつ力をつけて」
――早稲田大では全日本大学選抜、U‐21日本代表にも選抜されています。2008年、ジュビロ磐田に加入し、09年には21試合に出場。キャリアの歩みは順調そのものじゃないですか。
「21試合出たとはいえ、スタメンとサブは半々くらいですよ。残り5分、10分の出場も何度かあった」
――サイドバックでの起用は、柳下正明監督のアイデアだそうですね。
「ジュビロに入った最初の年、ヤンツーさん(柳下監督)はコーチだったんですが、最後の天皇杯だけ指揮を執ることになったんです。そこで、がらっとメンバーを変えるぞと言われ、サイドバックをやってみろと」
――以降、左サイドバックが主戦場に。どこにきっかけが転がっているかわからないものですね。ひとつ、気になる出来事を通り過ぎてしまいました。プロ入りの際、ページェット・シュレッター症候群(原発性左鎖骨下静脈血栓症)に罹っていますね。この影響は大きかったのでは?
「プレーには影響はしてないです。ジュビロに入り、活躍できなかったのは自分のせい。要所要所でチャンスをもらいながら、継続して高いパフォーマンスを発揮できなかった」