「ジーコは私の遺産を食いつぶすだろう」
韓国が4位になったことで、日本のベスト16はさほど高い評価をされなかったが、ワールドカップ出場2回目でベスト16は十分快挙といえる。開催国として組み合わせに恵まれていたのは確かだが、ファウルも被ファウルも最多の日本は球際で戦い続けていた。
当時話題になった選手たちによる戦術変更も、ラインの位置を変えたマイナーチェンジにすぎない。機能性はラインの高低にかかわらず同じなので、トルシエ監督が築いた土台あっての話である。トルコ戦での采配の混乱などはあったが、大きな仕事をした監督であったことに変わりない。
トルシエ退任後、ジーコが新監督に就任。トルシエは「ジーコは私の遺産を食いつぶすだろう」と不吉な予言をしていたが、それは半ば的中することになる。ジーコ監督はサッカー観もチーム作りも前任者とは対極といっていいぐらいで、食いつぶすどころか前任者の遺産には目もくれなかった。
長く続いていた、先行するヨーロッパを中心とし た戦術にキャッチアップするという姿勢もとっていない。理想の戦術を定めて邁進するのでなく、現在ある選手の力量を信頼して、今そこにある能力を発揮させることを優先した。
(文:西部謙司)
【了】