アマチュアリズムの始まりは労働者階級差別から
FIFA側がオリンピックにおける正式種目としてサッカーを認めたのは1908年ロンドン大会からだ。当初オリンピックのサッカー競技は、寄せ集めの選手がプレーする現在の草サッカーレベルだったらしい。
だが1930年にFIFAワールドカップが始まって本格的に代表がしのぎを削るようになると、欧州各国のサッカー協会のオリンピックへの興味は一気に薄れた。19世紀末からイングランドを初めとして欧州ではサッカーのプロ化が始まっており、アマチュアリズムに固執するIOCと相容れなかったのだ。
オリンピック憲章にあるアマチュア条項とは、アマチュアの選手しかオリンピックには出場できないとするものだが、「アマチュア」の解釈は各国によってさまざまで統一された規定はなかった。
FIFAとIOCも「何をもってアマチュアとするか?」で意見が食い違った。1932年ロサンゼルス大会でサッカーが種目に入っていない理由も意見の対立にある。オリンピック期間中に選手が仕事を休んだら、その補償をするかどうか、が対立の要因である。アマチュアしか認めない、ということは、選手は他に仕事を持っていて当然である。スポーツが、労働とは無縁の有閑階級が励むものだった時代には起こりえなかった問題だった。そして休業補償を認めるとするFIFAに対し、それはアマチュア条項に反するとIOCは強硬に反対した。
そこまでIOCがこだわってきたアマチュアリズムとは何だろう。近代オリンピックの祖、ピエール・ド・クーベルタン男爵は、「スポーツの価値は勝利ではなく、勝利をめざして努力することにある」と強調し、「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することだ」という名言(?)を残した(実際は別の人の言葉だったという説もある)。
クーベルタン男爵がこだわったアマチュアリズムを守ろうと、IOCは20世紀半ばまで、賞金目当てで競技に出場する人だけでなく、プロと一緒に競技をした経験者や体育教師ばかりか、身体活動(つまり肉体労働)によって金銭を得ている労働者も参加資格なしとした。
純粋にスポーツを愛好する人たちが競技する大会にしたかった、とも言えるが、スポーツを余暇で楽しめるエリート層による労働者差別思想だったという見方もできる。