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セリエA 8年前

「取材に対して選手たちが“ギャラ”を求めてくる。勘違いするな」 ウーゴ・ルッソの魂【ラジオ・アナウンサーの矜持】

サッカー中継に欠かすことのできない実況アナウンサー。イタリアで人気ラジオ番組の実況に生涯を捧げたウーゴ・ルッソ。彼はその声と魂で何を伝えてきたのか? イタリア全土のサッカーファンから深く愛された声の主を訪ねた。【後編】(『欧州フットボール批評special issue 02』より転載/取材・文:宮崎隆司)

シリーズ:名ラジオ・アナウンサーの矜持 text by 宮崎隆司 photo by Takashi Miyazaki, Getty Images

【前編はこちら】

二流たちが尊大に振る舞う現代のサッカー界

長年にわたりイタリアでラジオ実況アナウンサーを務めたウーゴ・ルッソ
長年にわたりイタリアでラジオ実況アナウンサーを務めたウーゴ・ルッソ【写真:宮崎隆司】

「昨今、特にテレビや新聞にその傾向が強いのだが、視聴率や購読者数を増やそうとするあまり、魅せる要素を著しく欠く実態を、さも一流のスペクタクルであるかのように語り、書く者たちが多過ぎるのではないか。

 私たちの国の言葉で、偉大な選手の意である『カンピオーネ(campione)』という単語もそう。今はあまりにも軽率に使われている。今日、真の意味でカンピオーネの称号に値するのは世界で3、4選手のみ。クリスティアーノ・ロナウド、メッシ、ロッベン、そしてアンドレア(・ピルロ)に限られなければならない」

 ウーゴはまた、取材対象との関係にも信念を貫く。

「かつてミシェル(・プラティニ)は自ら我々のところへ来ては『話をさせてくれ』と頼んでいた。あのディエゴ(・マラドーナ)でさえも。ロベルト(・バッジョ)だってそうだった。しかし今はどうだ。取材に対して少なくはない選手たちが“ギャラ”を求めてくる。『話してもらいたければ金を払え』と。

 プラティニの足元にすら及ばない二流たちが、プラティニがその足元に及ばぬほど尊大に振る舞う。冗談じゃない。不幸にもそんな場面に幾度となく出くわした私は、そのような尊大な二流選手たちにこう言い、取材そのものを断った。『勘違いするな』。

 無論、私たちジャーナリストはサッカーと選手たちのお陰で禄を食んでいる。だが、もしもその私たちが選手たちを語らず、書くこともしなければ、最も大切であるはずの“ファン”が彼らを知ることはない。もちろん有名にもなれない。つまりギブアンドテイク。完全に対等でなければならない。

 この意味を履き違えた選手があまりにも多い。と同時に、この意味を履き違えたジャーナリストを名乗る者たちもまた無数にいる。悲しいことだが、言われるがままに金品を渡すメディアの人間たちを私は何人も知っている。こういう者たちがサッカーを蝕んでいるのだ」

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