守備だけでなく攻撃もロジックで固められていた
4年間で、日本は戦術的に世界標準へ一気に追いついた感があった。中田英寿、松田直樹、宮本恒靖、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一、高原直泰、小笠原満男など、若手の台頭で技術レベルも格段に上がっていた。
守備戦術にメドがついた段階で、トルシエ監督はようやく攻撃のテコ入れも始めていた。といっても、こちらも相手をつけない単調なロールプレー方式だったのだが、やはりロジックで固められていた。
まずは逆サイドの裏、縦へのクサビ、それが無理なら後方でのサイドチェンジとオーバーラップの組み合わせ……手順がはっきりしていて、ボールをどう動かせばどこが空くかを予め想定したトレーニングだった。シュート練習でも、必ずパスワークと20メートル以上のスプリントを組み合わせた。止まった状態でシュートを打つ機会など実戦ではほとんどないからという理由だった。
3人だけでカウンターアタックに対処する練習もよく行っていた。中央を閉じてサイドへ誘導し、ラインを張ってクロスボールをはね返す。FWに体をぶつけてから競るなど、ディテールをしっかり詰めていた。
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