ミラン型4-4-2の3バックバージョン
オフト監督のときに基本的な戦術が持ち込まれ、ファルカン監督と加茂監督(岡田監督)のときには当時の世界標準へのキャッチアップを試みた。だが、そのためのロードマップが明確に示されたのはトルシエ監督の4年間である。
オフトの言っていた「ディテール」は 、ミラン以降の現代戦術において変化しており、ゾーンとプレッシングの守備戦術が非常に細かなディテールによって成立していることを日本サッカー界がはじめて気づいた時期だったといえる。
当初、トルシエ監督へ選手やメディアの反発があった。それまで経験したことのないトレーニング、あまりにも細かい約束事、アフリカでの指導方式をそのまま持ち込んでしまった監督自身の高圧的な態度にも原因があった。
しかし、やがて戦術が機能しはじめると、U-20代表はワールドユース大会で準優勝し、シドニー五輪もグループリーグを突破、アジアカップでは優勝、コンフェデレーションズカップ準優勝と着実に結果を出していく。
このときの代表は3-5-2のフォーメーションだが、戦術の系統としてはミラン以降の4-4-2に連なるものだ。リベロを置く3バックではなく、完全ゾーンのフラットラインとコンパクト、プレッシングを軸としている点で、ミラン型4-4-2の3バックバージョンなのだ。
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