世界標準を目指す流れ。トルシエの緻密な指導
日本が初参戦した1998年フランスワールドカップは3戦全敗でグループリーグ敗退となった。アジア予選途中で加茂周監督が更迭され、コーチから昇格した岡田武史監督の下、イランとのプレーオフを制して本大会へ進んだものの、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカにすべて1点差で敗れた。
後任のフィリップ・トルシエ監督は、ワールドカップでは南アフリカを率いていた。ブルキナ・ファソ、ナイジェリアなどアフリカの代表チームやクラブチームを率いて名をあげた指導者だった。
トルシエ監督はファルカン、加茂と続いた当時の世界標準を目指す流れを継承している。ただし、その浸透度は前任者たちに比べると大きな差があった。トレーニングのメソッドが比較にならないほど緻密だった。戦術構築のための指導力が違っていたのだ。
フル代表、五輪代表、U-20代表と3世代の代表チームを掛け持ちしたトルシエ監督は、最初の1年間ぐらいはほとんど守備の練習しかしていない。
定番だったのはテニスコートぐらいの長方形に11人を配置し、敵をつけない形でのポジショニングの練習である。監督がボールを持って移動し、その都度選手たちがチャレンジ&カバーのポジショニングを繰り返す。同時に「フラット・スリー」と呼ばれた3人のDFが、ボールの状況に応じてディフェンスラインの上げ下げを細かく行う。
ボールにプレッシャーがかかっていればラインアップ、プレッシャーがOFFの状態ならラインを下げる。そのときの下げ幅も相手のトップから3メートル後方と決まっていた。ボールが高く上がったときには誰がヘディングするかを周囲の選手が必ず指定する、ボールの位置に応じての体の向きの修正、バックステップの踏み方……マニュアルが明確で非常に細かかった。