日本でプレーすることによって経験できた成長
納得のいく終わり方ではなかっただろう。
ジュビロ磐田でのラストゲームは0-2で完敗し、自身も持ち味を出し切れなかった。それでも試合後、涙を流しながらサポーターへ挨拶し、ミックスゾーンに姿を現した時、その表情はどこかすっきりとしていた。声を枯らして応援し続けてくれた人々の想いを受け止め、新天地で飛躍するために気持ちを新たにしていた。
明治安田生命J1リーグ2ndステージ第8節・ガンバ大阪戦を最後に、小林祐希はオランダ1部のヘーレンフェーンに移籍した。念願だった海外挑戦の切符を掴んだ。
強い上昇志向は、常に海の向こうを見ていた。いずれは日本を旅立つ時が来る、と誰もがわかっていた。何より、世界で活躍する姿を小林自身が思い描いていた。
5月26日、日本代表への初選出が発表されたが、「目標では5年前に入っているはずだった」と真剣な表情で話している。そして、ヘーレンフェーンへの移籍が合意に達した8月12日。エコパスタジアムでの練習後、筆者は彼に尋ねた。
海外挑戦も5年ほど遅かったのか、と。するとこんな答えが返ってきた。
「ヨーロッパも俺は高卒くらいで行って、ずっと向こうでプレーするというのが一番かなと思っていた」
少年の頃から、小林は世界を意識してサッカーに取り組んできたのだろう。だが、実際に歩んできたキャリアにも胸を張る。
「日本でなければ学べない協調性とか規律というのを、プロになってからの7年間くらいで学べた。そういう日本の良さも知った上で海外の文化を自分に取り入れるという意味では、サッカー云々の前に人としての幅が広がる。それはプレーの幅の広がりにも繋がってくると思うので、時期的には今がちょうどいいのかなと。来年じゃ遅いけど、去年でも早かった。そう考えると今年がベストかな」
人間的な成長――。それは、サッカー選手を大きく飛躍させる要因となる。小林も例外ではない。日本でプレーし続けた期間は決して無駄ではなかったのだ。