経済的理由でサッカーをやらざるを得ない状況の五輪
五輪におけるサッカーは、TV放映権など経済的側面からなくてはならない競技になっている。W杯を最高峰の大会とする国際サッカー連盟(FIFA)との折衝により五輪サッカーには年齢制限が設けられることになったが、OAという“抜け道”を設けたことで、世界的に活躍するスター選手が出場する仕組みが整えられた。
だが、サッカーにおいて五輪は単なる年齢制限のある大会に過ぎない。選手の出場に関しても、強制力はない。クラブが拒否したことで五輪に出場できなかった選手は多数おり、日本でも主力だった久保裕也は所属クラブの反対でブラジルに行けなかった。
日本国内でも招集選手の所属クラブにはバランスが求められる。五輪に出場すればそれだけ疲労がたまり、怪我のリスクもある。公平性を保つために全Jリーグクラブからまんべんなく選ぶことが望ましいとされている(無理強いすれば不可能ではないだろうが)。
つまり、五輪サッカーとはW杯のように各国が総力をあげて戦うための大会ではないのである。五輪での結果を最終目標とする他競技とはまるで違う、歪な状況にある(経済的にもエンターテイメントとしても確立しているサッカーや野球のようなスポーツが果たして五輪に必要なのかという大きな疑問はあるが)。
だからこそ、サッカーにおける結果とは何か、を考えなくてはならない。サッカーにおける最終目標はあくまでW杯であり、五輪は通過点に過ぎない。もちろんブラジルのように五輪に全力を注ぐ国もある。それは、ブラジルはW杯を五度制し、五輪のタイトルがない特異な国だからである。そこには大きな意義がある。
だが、日本はそうではない。五輪もW杯に向けた貴重な場なのである。
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