「11人目のフィールドプレーヤー」として
中学生時代にプレーした宇佐FC、そして高校進学と同時に加入した大分トリニータU-18で、自分だけがもつ武器を徹底して磨き上げた。右利きとして生まれたが、いまでは「利き足は左」と公言してはばからない。ユース時代の公式戦で7本の直接FKを叩き込むほど、高精度のキックが左足には宿っていた。
フィールドプレーヤーと遜色ない、というよりも凌駕しているといっても過言ではない足元の高度なテクニックは、他のゴールキーパーとは明らかに一線を画すプレースタイルを可能にさせた。
いわゆる「11人目のフィールドプレーヤー」として。最後尾からしっかりとボールをつなぎ、ときにはリベロ的な役割を果たせるレベルにあった西川の才能は、2010シーズンに移籍したサンフレッチェで、全員攻撃を標榜するミハイロ・ペドロヴィッチ監督と出会ったことで飛躍的に開花していく。
「ミシャ(ペドロヴィッチ監督)は自分のプレーの幅を広げてくれた監督であり、広島時代から常識ではありえないようなことを考えては、自分たちにいろいろと提案してくれた。本当に引き出しの多い監督で、自分も心から楽しみながら毎日の練習に臨むことができた。アシストにしても『お前のキックを生かせ』と常に言われてきたことなので、やっと結果として表れてよかったです」
2011シーズン限りでサンフレッチェを退団したペドロヴィッチ監督とは、2014シーズンから移ったレッズで再び厚い信頼感を寄せられる関係になった。
相手のプレースタイルやピッチの管理状態などを勘案して、ベルマーレ戦こそがアシストを狙える絶好のチャンスだと試合前に檄を飛ばしたのも、実はペドロヴィッチ監督だった。
念願だったアシストを記録したいま、川島永嗣(FCメス)や東口順昭(ガンバ大阪)をはじめとする日本代表のライバルと、まったく異なるスタイルを突き詰めていく西川の決意はさらに強くなった。
「世界のキーパーを見てもゴール前で守るだけではなく、守備範囲の広い選手が多い。そういう時代になってきていると思うし、外国人のゴールキーパーと比べて身長が低い自分は、世界を相手に戦うときにはそこのクオリティで勝負しなければいけない。そこはJの試合でトライし続けるしかないと思っています」
西川が「そこ」と二度も口にしたのは、言うまでもなく「11人目のフィールドプレーヤー」を意味している。もちろん、ゴールマウスを守るという、本来の仕事を疎かにするつもりも毛頭ない。