アトランタ五輪でGKに対する印象が変わった
【計算その3 あえてワイドの選手を走らせる】
西川はキックオフ前から、関根と左ワイドの宇賀神友弥がベルマーレ戦のキーマンになると読んでいた。ベルマーレは最終ラインを高く保ち、前線から激しくプレスをかけようと狙ってくる。
たとえば西川にボールがわたった瞬間、3バックの左右を務める槙野智章と森脇良太をタッチライン際へ広げれば、相手のサイドハーフが食いついてくる展開を見抜いていた。
「僕が(槙野か森脇に)蹴るんじゃないかと狙ってくるので、ならば2人のところをわざと空けて相手にプレッシャーをかけさせたうえで、そのギャップを狙ってやろうと思っていました」
必然的にレッズの両ワイドに対するマークが曖昧になる。続けて、ただでさえマークしづらくなるダイアゴナルの動きでゴール前へ走り込ませれば、ベルマーレ守備陣はさらに混乱をきたす。
実際、誰にもマークされることなく、村山と1対1の状況にもちこんだ関根は、西川との共同作業で描いていたシナリオ通りのゴールだったと胸を張っている。
「あのプレーは、今シーズンに入ってからずっと狙っていたもの。今日も(西川さんと)目と目が合って、ちょっとボールが伸びましたけど、上手くタイミングを合わせることができました」
後半15分には、今度は左サイドに生じたスペースへスプリントをかけていた宇賀神へ、西川から寸分の狂いもないロングパスが通る。そのままもち込み、放ったシュートはゴールの枠を外れてしまったが、再び埼玉スタジアムに拍手とため息とが起こっている。
大分・宇佐市立四日市南小学校の少年団でサッカーをはじめた西川は、4年生になったある日、「誰もやる人がいない」という理由で半ば強引にゴールキーパーへコンバートさせられる。
「本当はすごくいやだったんですよ。怖いし、痛いし。それが5年生や6年生になると、喜んでPK戦に臨んでいた記憶があるんです」
コンバートされた当時の心境をこう振り返ったことがある西川だが、ゴールキーパーに対する印象を180度変えたのは、小学校4年生の夏に行われたアトランタ五輪だった。
テレビの向こう側では、川口能活(当時横浜マリノス)が神懸ったスーパーセーブを連発。28本ものシュートから日本のゴールを死守しては、雄叫びをあげている。王国ブラジルを撃破した、いまも語り継がれる「マイアミの奇跡」に子ども心を震わされた。
「キーパーってシュートを決めるか、止められたときにしかテレビに映らないのに。本当にすごかった」
目立たないポジションでも、絶対的な武器をもてばヒーローになれる。西川の胸中に芽生えた川口への憧憬の思いが、ゴールキーパーの道を進ませる。