一貫性を欠いていた日本代表監督選び
日本サッカー協会の代表監督選びには、ある特徴があった。新監督を選んだ理由として、前任者に足りなかった部分を補う人物だと説明していたのだ。
ハンス・オフトを招聘したときは「選手もプロになっているので、監督もプロでなければダメ。外国人しかない」だった。次のパウロ・ロベルト・ファルカンは「修羅場をくぐった人」として迎えられている。最終予選でオフトがナーバスになっている姿を見ていたからだという。
そして、6ヶ月で事実上解任されたファルカンに代わった加茂周監督の就任は「コミュニケーションのとれる人」だった。ファルカン監督は周囲とのコミュニケーションに問題があると思っていたからだ。しかし、このときにはオフトを監督に据えたときの「外国人」は忘れられている。
さらに岡田武史監督を挟んで、フィリップ・トルシエ監督のときは「世界を知る監督」と紹介されたが、「コミュニケーション」はどこかへ行ってしまった。さらに、ジーコとイビチャ・オシムを経て岡田監督を再任させているが、その時点で「世界を知る監督」だったかといえば怪しい。
一連の“川淵(三郎)人事”では、前任者の弱点を補う形で後任が発表されるのだが、その次になると2人前の問題点は忘れられるのがパターンだった。監督就任発表の説明は見事なぐらい一貫性を欠いていたのだが、偶然かもしれないが強化方針には意外と継続性があった。ファルカン→加茂もそうだった。