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コロンビア主将はギャングのヒーロー。危険地帯が生んだストライカーのバックボーン【リオ五輪サッカー】

text by 北澤豊雄 photo by Getty Images

犯罪集団と関わることも。地元ではヒーロー

 結局私は現地在住の日本人の手を借り、静岡県に住んだことのある日系人のタクシー運転手、ゲンゾウ・ドク(注:バランキージャ在住の日系人。過去に静岡へ出稼ぎに行った経験も)を紹介してもらった。チニータ地区はギャング団が跋扈する地域だったのだ。

 チニータ地区からそう離れていない今の家で、テオフィロの父グティエレスが苦笑を浮かべながら当時を振り返る。

「不良グループの縄張り争いなど、抗争が絶えない地域だった。銃撃戦や殺しも日常茶飯事だった。テオフィロもそんな悪い連中と関わり合いになることはあった。しかし、ここでは特別なことじゃないんだ。この地域の子供は誰もがそうなってしまう。彼はこの環境からよく抜け出したと思う」

 周囲の環境に流されなかったのは、フットボールがあったからだ。

「ピベが好きでね。テレビに彼が映ると、ピベ! ピベ! と騒いでいた。彼に憧れて、8歳から地元の《フランキー》という少年サッカーチームでボールを蹴り始めた」

 ピベとはコロンビアサッカー界の英雄、カルロス・バルデラマの呼称である。

 叔父のオマル・ロンカンシオンも懐かしそうに当時を語る。

「テオは学校だってろくに行ってなかった。でも、とにかくサッカーだけは好きだった。フランキーに入るまでは、いつも路上でボールを蹴っていた」

 バランキージャ市に本社のあるコロンビアブロック紙「エル・エラルド」(El Heraldo)の日系人記者、ケンジ・ドクも誇らしげだ。

「バランキージャはコロンビアで一番サッカーの盛んな場所です。テオはそこの治安の悪い地域で育ち、地元のクラブで活躍し、アルゼンチンに行った。我々のヒーローです」

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