FIFAとIOC、W杯と五輪のせめぎ合い
実際、霜田ダイレクターは4月の渡欧時に、ハリルジャパンのヨーロッパ組をオーバーエイジとして招集できるかどうかに関する情報も収集。その結果として、こんな言葉を残している。
「クラブと交渉しても勝ち目はない」
オリンピックに対する関心の低さは、金メダリストの顔ぶれにも反映されている。1992年のバルセロナ五輪までは、20大会中で17度もヨーロッパ勢が優勝。特に戦後は旧東ヨーロッパ諸国が一時代を築いた。
一転して1996年のアトランタ五輪以降の5大会は、ナイジェリア、カメルーン、連覇したアルゼンチン、前回ロンドン大会のメキシコとヨーロッパ勢以外が頂点に立っている。
銀メダリストもシドニー大会のスペイン、銅メダリストもアテネ大会のイタリアだけ。ロンドン大会では銀メダルがブラジル、銅メダルは3位決定戦で日本を破った韓国が獲得している。
ヨーロッパ勢が著しく地盤沈下した背景と、オリンピックにおける男子サッカーの歴史、とりわけ年齢制限やオーバーエイジ枠の導入は、実は密接な関係にあるといっていい。
オリンピック憲章から「アマチュア」の文字が削減されたのは1974年。プロスポーツやプロアスリートが中心となってきた時代の流れが、4年に一度のスポーツ界最大の祭典にも反映された。
サッカー競技でも1984年のロサンゼルス大会から、プロ選手がピッチに立てる運びとなった。しかし、全面的に解禁となれば、ワールドカップとの差別化がまったく図れなくなってしまう。
実施競技のなかでも特に人気の高いサッカーを充実させることで、IOCとしては興行収入のアップをもくろんでいた。一方のFIFAは、ワールドカップのステータスだけは是が非でも死守したい。
両者が利害を対立させ、ともに一歩も譲らない綱引きが演じられる。その結果として、ロサンゼルス大会と1988年のソウル大会では、何とも中途半端な出場規定が設けられている。
「ワールドカップの大陸予選および本大会に出場した、ヨーロッパおよび南米の選手は出場できない」