トリノ地方から蔑視され続けてきたナポリの歴史
そもそもナポリの人々は北イタリアの、それもトリノの人々に対し強い嫌悪感を抱いていた。
1860年、イタリアはサルデーニャ王国国王のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の手によって統一される。そのサルデーニャ王国の首都が、現在ユベントスの本拠地があるトリノだった。ブルボン家の支配下に置かれていた両シチリア王国、つまり現在のナポリからシチリア島までを含む南イタリアは、ここで併合されることになった。
ただそこから南は、ナポリは貧窮した。スペインの支配下にあった中世からこの土地の貧富の差は大きかったが、統一が拍車を掛けた。重税が課せられ、地元の製造業は大打撃を受ける。地方が財政難に瀕していたところに義務教育制度を押し付けられたため、貧しい農村部では教育が機能せず、かえって識字率が低下。そういう状況でゲリラは政府に反乱を続けたが、それを鎮圧させるために統一政府は軍隊を送り込み、彼らが市民にまで残虐行為を働いたことも記録に残っている。
南は貧しくなり、北は彼らを蔑視する。現在まで続くイタリアの南北問題はここに端を発しており、ナポリの人々はそれを忘れていない。ユベントスのオーナーで自動車製造会社『FIAT』を経営するアニェッリ家は、まさにサルデーニャ王国のサヴォイア家と密接なつながりがあったとされる名家。それをサッカーに重ね、ナポリの人々は昔からユベントスを毛嫌いしていたのだ。
そしてサッカーの上でも、お金持ちのユベントスがナポリから選手を“搾取”して反感を買うことがあった。1960年代後半、ナポリはGKディーノ・ゾフ、FWジョゼ・アルタフィーニを擁してチーム最高の成績を挙げていたのだが、1971年にこの2人をユベントスに取られた。そこからナポリは地道に力をつけ、1974/75シーズンには優勝争いもする。
しかしホームで行われたユベントスとの直接対決で、よりによってアルタフィーニに決勝ゴールを決められ敗戦。その際アルタフィーニは「ファンは僕にブーイングをしたので懲らしめてやったのさ」などと発言し、ナポリファンからは「薄情者」と言われることになった(シーズンは2位でフィニッシュ)。