一般的な結論は問題解決の役に立つのか
ひとつには原因究明の過程が政治的になってしまう現象がある。たとえば、仮に低迷しているあるクラブで、「前監督派」と「現監督派」というようにどの監督を支持するかでファン、サポーターが対立していたとして、現監督が采配をふるっているあいだは前監督派の怒りが現監督派に向かうが、現監督が更迭されれば怒りの矛先が消え、以降はすべての批判がフロントを指弾するものになる。このサイクルは何年もJリーグを観てきた方ならおわかりだろう。
問題はそのあとだ。怒りのバイアスがかかり、原因究明に際して党派的な対立が先行、失敗の本質はどこにあったのかがわからないまま人事がおこなわれれば、入れ替わった新しい人々に次の事業を託すだけで、再び同じ失敗を繰り返しかねない。そうして低迷から抜け出せきれないでいるクラブがいくつか思い浮かぶ方も多いのではないか。
そもそも失敗自体は常に複合的な原因で起こるため、解明自体が簡単ではなく、ようやく原因を特定できたとしても「企業風土が原因」という当たり前の結論に落ち着いてしまいがちだ。
たとえば東京の、過去の失敗の一因に、外国籍選手や監督をうまく扱いきれず、能力を引き出しきれなかった、ということがある。2004年にナビスコカップを制覇した翌年、今度はリーグ優勝だと「ホップ・ステップ・チャンプ」の標語を掲げ、攻撃の要だったケリーを切ってダニーロを獲得したものの、彼はシーズン半ばで東京から去った。
代わりにやってきたササ・サルセードも、点獲り屋の本領を発揮することはなかった。2006年に初めて日本人以外の監督となるガーロを招聘したがこれも失敗、この状況で救世主となるべく来日した、かなり有能だったはずのワシントンは、やってきた途端にガーロが解任されてわずか2試合の出場に終わった。2007年のワンチョペやエバウドも期待はずれ。
ただ、それらと、ランコ・ポポヴィッチ元監督とフィッカデンティ元監督に三年目がなかったこと、エドゥーが去ったこと、サンダサを放出してムリキを獲得したこと、ハ・デソンを期限付き移籍で名古屋グランパスに送り出したことは、それぞれ原因は異なるはずだ。
すべて「外国籍選手や監督の扱いがやや不得手な企業体質が原因」と考えればいちおう筋は通るが、そのような一般的な結論が問題解決の役に立つのだろうか。