現役ブラジル代表キャプテンのJリーグ参戦
ドゥンガがキャプテンを務めるようになるのは必然の成り行きだった。
「僕が自然発生的にキャプテンということになったけど、それぞれがリーダーとして重要な役割を持っていた。誰かが落ち込んでいたらみんなで励ました。とにかくみんな、よく話し合った。合宿を含めた60日間、僕らの頭の中には優勝という2文字しかなかった。外で起きていることには全く関心がなかった」
キャプテンとしてのドゥンガの一つの功績としては、発言や行動で問題が多いロマーリオを、合宿中、同じ部屋になり、優勝というタイトルに向かって突き進ませたことがある。
ブラジル国民にとって悲願であった、20年ぶりとなる4度目のワールドカップ優勝。90年大会では戦犯扱いされたドゥンガが、キャプテンとして優勝杯を頭上に掲げた。この時からドゥンガのブラジルフットボール界における地位は絶対的なものとなったのだ。
ドゥンガが日本のジュビロ磐田にやってきたのはその翌年、95年のことだった。日本は93年にJリーグが始まったばかりであったし、ドゥンガからみれば、未熟な点が多かったはずだ。ドゥンガは当時を振り返る。
「ラモスやジーコ、ジョルジーニョやレオナルドといったブラジル人がすでに道を開いていてくれたし、ブラジル人街ができあがっていたからすぐに溶け込むことができた。サンパイオやジーニョもいたしね」
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